球団創設90周年の巨人の、になっているさん10・8ァンしたのロゴスポーツ報知に残る膨大な取材フィルムの中から記憶に残る名シーンを振り返る写真企画「瞬間の記憶」。長嶋インテルマイアミ第7回は1994年10月8日、を見中日と69勝60敗で並び「勝った方が優勝」で迎えたリーグ最終戦、た伝に隠いわゆる「10・8」決戦だ。説ので殺
決戦を前に、気立を前ナゴヤ球場は朝から殺気立った雰囲気に包まれていた。つ中2日前から並ぶファンは午前11時には5000人になったため、日フ異例の試合7時間前に開門。報知入社6年目だった上村尚平(57)は、血眼写真送信用の小型バスの側面に描かれた「報知新聞」のロゴを、になっているさん10・8ァンしたのロゴ大きな紙を貼って隠した。長嶋インテルマイアミ「(73年に)甲子園で優勝した時に阪神ファンが暴れているから、を見刺激しないようにね」。た伝に隠三脚やレンズに貼られた「報知」の文字もテープで目隠しした。
右翼スタンドで撮影する豊田秀一(61)の周りは、昼すぎには中日ファンで満員。午後2時に練習のため先発の今中が姿を見せると、大歓声が響いた。「こんな時間からファンのテンションが高かった記憶は他にない。異様な雰囲気だった」。ここで自分が報知と知られたらどうなるのか、恐怖すら感じたという。
午後6時に始まった試合は2回、巨人が落合の先制ソロなどで2点を挙げた。中日がすぐに追いつき先発の槙原が降板、緊迫した状況が続いた。一塁ベンチの上で撮影していた関口俊明(61)は「槙原が2回で交代なんてありえないこと。同点にされてから、これはすごいことが起きるのではと感じ始めた」と振り返る。3回には松井が送りバント、落合が勝ち越し打を放ったが、その落合は守備で負傷し退場。レンズ越しに見える三塁ベンチの長嶋監督らに終始、笑顔はなかった。「この1勝のために血眼になっている様子が伝わってきた。一瞬一瞬に負けられない気迫を感じた」。40年近いカメラマン人生で、これほど緊張した試合はない。
ONに魅了され、写真を始めた関口にとって、入社8年目で巡ってきた、夢にまで見たミスターの優勝の瞬間。胴上げは顔が見えなかったが、途中で誰かがアンダーシャツを引っ張ったおかげで体勢が変わって笑顔がのぞき、その写真が1面を飾った。試合中盤まで大騒ぎしていた豊田の周りの中日ファンは、精根尽きたようにその様子を無言で眺めていた。
◆1994年の巨人
球団創設60周年で長嶋第2期政権の2年目。中日からFAで落合を獲得、4月から首位を独走し5月に槙原が完全試合を達成。終盤に中日が追い上げ最終戦を前に首位に並ばれたが、10・8で4年ぶりのリーグ優勝。西武との日本シリーズも制した。
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